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シャガール版画展開催にあたって 
 展覧会のお知らせのページの通り、もともと私がこの仕事に熱中することになるきっかけがシャガールでした。
 はじめて自分のお金で買った絵がシャガールのリトグラフで、当時勤務していた会社の財形貯蓄を全額解約しての買い物でしたし、また独立後、初の企画展がやはりシャガールで、まさしく私の原点ともいえる作家です。
 ところが一時美術に対して頭でっかちになり、専門家と称する人たちの見解を気にする様になって、離れていたこともあります。
 要するに他人の目が気になっていたんですね。「ジャコメッティやマティスが好き」とは言えても、「シャガールが好き」とは何となく恥ずかしい気持ちがしたんです。今振り返って見ればくだらないことに拘泥していたわけです。
 しかし戻って来ました。そして今では以前より彼の作品をもっと深く愛する様になりました。若い頃には感じ得なかった、そして頭でものを見ていた頃には見えなかったシャガールが作品に込めた奥深い部分をようやく、ホンの少しかいま見ることができる様になったからでしょうか。(そうだと良いのですが・・・・・・・)

「リトグラフの石版や銅板に触れると、護符を手にしているように思えた。あらゆる私の喜び、あらゆる悲しみをそれらに託すことができるような気がした。」 (シャガールの言葉)
 以下、ある雑誌に書かせていただいた私の雑文を掲載いたします。
一部同じ内容でダブってしましますが、どうかご容赦ください。



画廊の一枚「サーカス」
----- 愛の画家シャガール 悲哀を歓喜に -----

 皆さん意外に思われるかもしれませんが、「20世紀の画家ベスト5をあげよ」こういう設問に、美術史家、評論家、学芸員等いわゆる美術に対して学術的なアプローチをしている専門家と言われる人で、シャガールをあげる人はまれだと思います。
 実は私がこの道に入ったのはシャガールの絵がきっかけでしたが、そんな私も一時期(といってもけっこう長い期間ですが)美術というものに対して頭でっかちになり、シャガールから離れたことがありました。
 今ではもちろん彼の作品をとても愛していますし、20世紀ではピカソ、マティスと並ぶ巨星であると確信しております。
 さてではシャガールの大衆的人気と専門家の評価のギャップはどうして生ずるのでしょう。それはたぶん彼の絵が「分類しにくい。論文になりにくい。」からでしょう。彼は理屈ではなく、心の中から湧き出てくるもので描いているからです。
「心を込めて創り出した時は、たいてい何でもうまく行く。頭を捻って作り出しても、おおよそ無駄である。」 (シャガールの言葉)
 そして愛について次の様に語ります。
「私はニヒリズムを好まない。確かに人生は暗く悲しい。しかし芸術は愛によって悲哀を歓喜に変えるのだ。ジョットーの絵やモーツアルトの音楽のように。」 (シャガールの言葉)

「愛だけが私の興味を引く。だから愛を取り巻くものとしか私はかかわりを持たない。」 
(シャガールの言葉)

 上の言葉からもわかる通り、シャガールの作品は彼の人生の喜怒哀楽、そして何よりも愛が込められています。彼の絵の主要なモティーフは道化師、モーゼ、キリスト、神話中の人物といろいろですが、私たちはこれが何の象徴かなと小難しく考えるより、画面から溢れ出る愛を素直に受け止めればいいのではないでしょうか。
 さてこの作品の道化師、観客を喜ばそうと派手な衣装を着てこちらをじっと見据えています。その目は何とも言えない情感がこもっているように感じれらます。そこには、いろいろなことを乗り越えて一生懸命に生きている人間に対するシャガールの限りない愛が感じられます。
「私には道化師、曲芸師、芸人はいつも宗教画の人物に似た悲劇的な人物に思われるのです。私は道化師やサーカスの芸人の絵にはマドンナやキリスト、恋人たちの絵を描くときのような感動的なやさしい情感を惜しみたくはないのです。」 (シャガールの言葉)


「サーカス」 リトグラフ

2006/03/24






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