ハンス・ベルメール(1902-1975年)

ハンス・ベルメール 略歴(作家名をクリックすると、Yahoo及びGoogleにて検索します。)
1902年 ポーランド(当時はドイツ領カトヴィツェ)に生まれる。
1924年 ゲオルグ・グロスを知る。同年パリに渡りデ・キリコと会う。
1925年 人形作家ロッテ・プリッツェルを知る。
1933年 初めての人形制作に着手する。
1934年 自作の人形を使用した写真集「人形」を自費出版する。この写真集はパリのシュールリアリストたちの熱狂的な支持を集め、「ミノトール誌」に掲載される。
1935年 シュールリアリズムのグループ展にデッサンを出品する。
 この年、16世紀デューラー派の関節人形を知り、それを参考に球体関節を採用した2体目の人形を制作する。
1938年 妻マルガレーテ死去(結婚は1928年)。ベルリンからパリに移る。
1939年 ジョルジュ・ユニエの詩にベルメールが挿画した詩画集「枝状に刻みこまれた流し目」刊行。
1944年 初めての個展を開催。(フランス・トゥルーズ トランタン書店)
1947年 「国際シュールリアリズム展」に参加。(パリ マーグ画廊)
 ジョルジュ・バタイユ「眼球譚」刊行される。(ベルメールの銅版画6点入り)
1949年 ポール・エリュアールの詩にベルメールの着色写真15枚が収められた「人形遊び」刊行。
1953年 ウニカ・チュルンと出会い、翌年よりパリで同棲生活を始める。
1956年 ジョイス・マンスール「ジュール・セザール」刊行される。(ベルメールの銅版画5点入り)
1957年 「イマージュの解剖学」刊行される。
1958年 ウニカをモデルとした緊縛写真を撮影。
1961年 「サド頌」刊行される。(ベルメールの銅版画10点入り)
1965年 ジョルジュ・バタイユ「マダム・エドワルダ」刊行される。(ベルメールの銅版画12点入り)
1968年 「道徳小論」刊行される。(ベルメールの銅版画10点入り)
1969年 ハインリヒ・フォン・クライスト「マリオネット」刊行される。(ベルメールの銅版画11点入り)
1970年 ウニカが投身自殺する。
1971年 フランス国立現代美術センターにて回顧展が開催される。
1975年 逝去。


●関連サイト
●作家の言葉

『脚の真似をする腕の快楽が、腕の役目を演ずる脚の快楽に匹敵するかどうか、
腕と脚、セックスと腋の下、眼と手、鼻と踵のあいだに認められる見かけの
同一性が、相互に転位可能なものであるかどうかを考えなければならない。』

<作品紹介>
過去扱った作品をご紹介します。

ベルメール「Transfer des Sens」
ベルメール
「Transfer des Sens」
「Transfer des Sens」銅版 1966年(Denoel.64)

1966年パリのDenoel社より刊行されたデッサン集に添付された銅版画(ビュラン)です。
ベルメールの魅力について、人形作家 四谷シモン氏は次の様に述べています。

「ベルメールのデッサンや人形の特色は、肉体のデペイズマン(位置転換)。人間の肉体のあらゆる部分を本来的な仕組みから解き放ち、ありえるはずのない各部分にむりやりに接合する。しかし、そのむりやりに、が、的確な表現によって、そこに定着する。(中略)人間の肉体に対するベルメールの美的表現は、彼の持っている性的イマージュに比例して、悪意の極限にまで高まる。その繊細な無数の線によって肉体の暗黒領域を表現する数々のエッチングや関節人形は、せつない吐息とうずきをともなって、世界を痙攣させている。」
( 四谷シモン 1998年12月18日朝日新聞「20世紀の古典」より)

上記のベルメールの独創性がよく表れた、そしてまた彼の素描力のすばらしさを感じさせる、銅版画の中で代表的な1点です。


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