私が最も敬愛する作家が長谷川利行です。開廊以来、多くの作品を扱ってまいりました。
当画廊では長谷川利行の作品を常設しております。心に響く作品をお楽しみください。
長谷川利行「女の顔」 キャンバス・油彩 128x98mm |
長谷川利行「二人」 キャンバス・油彩 92x136mm |
長谷川利行「少女像」 ガラス絵 87x61mm |
長谷川利行「荒川 煙突のある風景」 キャンバス・油彩 275x410mm 売約済 |
長谷川利行「関取」 紙・油彩、1935年 215x170mm 売約済 |
●長谷川利行 略歴 1891年 京都山科に生まれる。 1911年 『みずゑ』主催の水彩夏期講習会に参加。 1919年 歌集『長谷川木葦集』を私家版で発行する。 1921年 この頃時折上京、生田蝶介との縁で『公団雑誌』に<浄瑠璃坂の仇討>を発表する。 岩田専太郎、矢野文夫を知る。 1923年 新光洋画展に<田端変電所>が入選。 1925年 二科展、帝展に応募したが落選が続く。大阪府主催の第3回大阪藝術展で受賞。 1926年 二科展に<田端電信所>が初入選(反対がほとんどだったが正宗得三郎が激賞)。 帝展に<廃道>が入選。 1927年 1930年協会展に<陸橋みち>他2点が入選。二科展に<酒売場>などを出品し、樗牛賞を受賞。 1928年 1930年協会展に<地下鉄道>などを出品、奨励賞を受賞。 この頃、里見勝蔵、藤川栄子、靉光、井上長三郎、麻生三郎、吉井忠、寺田政明らとの交流が始まる。 1929年 日暮里を離れ、浅草近くのドヤ街に住む。 1930年 二科展に<タンク街道>などを出品する。以後、1937年まで二科展出品を続ける。<BR> 1932年 天城俊彦(本名 高崎正男)を知る。(天城は1936年新宿に天城画廊を開き、2年間で10回以上の個展を開催した。) 1934年 市電三ノ輪停留所近く、龍泉寺町の東京市営龍泉寺宿泊所に住む。近くの鈴木医院にたびたび出入りする。 1935年 アモレ画廊で初の個展。龍泉寺宿泊所を出て、浅草山谷の簡易旅館「紅葉館」に住む。 1936年 天城画廊で5回の個展開催。この年から翌年にかけて、ガラス絵に熱中。 1937年 新宿旭町に移る。一水会展に<ノアノア>などを出品。天城画廊で8回の個展を開催。矢野文夫と大島に小旅行する。 1938年 天城画廊で6回の個展開催。浅草に移る。 1939年 健康状態が目に見えて悪化、ひどい胃痛に悩まされる。矢野文夫の提案で、四宮潤一に一通りの手ほどきをうけて水墨画を制作する。 1940年 5月三河島の路上で倒れ、東京市養育院に収容される。10月12日逝去。 |
- 2014年開催 「長谷川利行展」 - 2014年11月〜12月、長谷川利行の本家本元の老舗画廊である羽黒洞さんと長谷川利行展を開催させていただきました。 展覧会の様子をアップしておりますので、ぜひご覧下さい。 2014年11月開催 長谷川利行展レビュー 長谷川利行展 図録ご希望の方はこちら ※コラム・ブログもご覧ください。 (過去当画廊で扱った作品も一部ご覧いただけます。) ・長谷川利行「浅草風景 ロック座」1 ・長谷川利行「浅草風景 ロック座」2 ・長谷川利行の女性像 ・フクヤマ画廊ブログ <長谷川利行> |